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日本初の金網デスマッチと意外なミス。

2007年03月09日 22:23

初めて生でプロレスを見たのは、1970年10月8日
大阪府立体育会館で開催された国際プロレスでした。
会場に着くと黒板に『本日金網デスマッチ』の看板
金網デスマッチ・・・知ってはいたもののなんで今日ここで
やるのか意味がわからなかった。


後でわかったことだが、TBSと国際プロレスはここで
大きなミスをしていた、それは次のようになる。


国際プロレスは、ラッシャー木村を売り出すため木村の試合に
ドクターデスが乱入し試合をぶち壊す。

木村が放送席の吉原功代表に「大阪で金網デスマッチを
やらせてくれ」と直訴。

吉原代表困った様子

吉原了承

大阪で金網デスマッチ決定!



となった様子が数週遅れで関西のテレビで放送されました。


結局、伏線の模様は東京ではテレビ放送されていたが
開催地の大阪は、週遅れのため放送されておらず、当日の客は
なぜ金網デスマッチが行われるのかいきさつを知らなかった、
というわけ。


大阪でも放送されていたら当日はもっと客が入っていたと思う。


いよいよデスマッチが始まるとき会場は異様な雰囲気でした。


四方のリングを八枚の金網が囲む。


つまり二枚の金網で一辺を覆うため金網の真ん中、つなぎの部分が


少しへこんだ状態になっていました。


金網には、入り口はなく完全に閉める前にレスラーとレフリーを


中に入れなければならない。


ルールは、国際プロレス独自の43秒ルール


カウント3のあとリングアナが30秒カウント


その後さらにレフリーが10カウント


それでも立たなければ勝ちとなる。


結局、17分22秒日本初の金網デスマッチは


ラッシャー木村のKO勝ち。


このあと国際プロレスは、サンダー杉山、グレート草津、


マイティ井上、ストロング小林、ラッシャー木村


をかかえ全盛期を迎えることになる。



 


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コメント

  1. まさる | URL | dvUYBDnY

    U・Mさん

    コメントありがとうございます。
    確かその企画で一位はマスカラスでしたよね。
    当日会場で買ったパンフレットにも載ってたように思います。
    ただ日プロの妨害やらで呼べなかった
    あの時マスカラスが国際に来てたらその後どうなっていたか
    考えても面白いです。
    木村を売り出す計画は、関西の放送が週遅れでなかったら
    もっと当日は話題になってたでしょうね。
    国際は色々アイデアがあって今思うと良い団体でした。
    コメントありがとうございました。


  2. U・M | URL | -

    金網デスマッチをやる意味

    初めまして!金網デスマッチと聞いて飛びついてしまいました笑
    さて、なぜあの時、あの様な場所で、あの様な形でデスマッチを行ったかについてですが・・・
    実は木村を売り出す以前に大きな問題が生じていたからなのです。
    同シリーズには「ファンからの公募で人気外人レスラーを選び、来日させる」と言う企画で1位をとった
    スパイロス・アリオンと言う人気外人レスラーが来日する、筈でした。
    所が当時馬場、猪木が所属していた大御所日本プロレスが妨害工作を行い、アリオンの来日が不可能と
    なってしまったのです。
    そこで困った国際は、ちょうど凱旋帰国した木村を売り出す方法として金網を行った・・・と言うのが真相の様です。

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